「かいだん」  「キャーー」  今日も黄色い声がこの切り通しにこだまする。  (おっ…純白…なまものなまもの…)  ふわりと静かにまくり上がったスカートの中から覗く物を急な階段の 下から横目でみながら俺は平静を装っていた。  ここは郊外にある狭い切り通し。なんでも鎌倉時代からの街道だそう である。昔は峠道だったらしいが、住宅を建てるため、峠の下の一部を 削り、階段を設けたと言う事である。  階段の途中の踊り場には、昔、峠の途中に建っていた稲荷の祠があり、 俺が仕事の合間に花をあげたり稲荷寿司を供えたりしている。  また、階段のすぐ上には女子校があり、この階段は女生徒達の通学路 となっている。  …あっ、俺?俺はこの階段の麓にある交番に勤務する巡査。  俺の目の前を女子高生がおしゃべりをしながら次々と通り過ぎていく。 いつもの朝の風景…  「おはようございます」 と、交番の前にたっている俺に対して口々に挨拶をしていく…そして、 階段をかなり昇ったところで、どこからともなく一陣の風が吹き、彼女 達のスカートを静かにまくり上げる。これも、いつもの風景…  (おっ…黒のTバック!最近の女子高生ときたら…) と、呆れていると。  「あーーーっ、見たわねー!お巡りさんのエッチィ!!」  階段の上から女子高生が私に向かって言った。  「いや、俺は見てない。見ていない!」 と、私は少し身を引きながら答えたが、女子高生は笑いながらいたずら っぽく舌を出していた。  この階段は、昔は”稲荷階段”と言っていたが、そのうち”お化け階 段”と呼ばれるようになった。何でも登り時に数えた階段の段数と、下 りの時に数えた段数が異なる事から付いたあだ名だそうだ。しかし今日 では、この階段の上に女子校が出来てから、”パンチラ階段”と、あま り有り難くないあだ名になっている。その由来は、今見た通り。  一時期どこからか不心得者が何人かカメラを手にやってきていたが、 ここに交番があるのを知るといつの間にか来なくなった。  毎朝、俺の目を楽しませてくれる(おっと、失敬!)彼女達の姿を見 ていると、何時も思い出す事件がある。  これから話す事は、俺がここに勤務して以来の不思議な事件の話しだ。 * * * * * * * * *  「あーー、こらこら!そんな所に物を置くんじゃない、人が通れなく なるじゃないか」  交番の隣にマンションを建てていて、通りに大きく工事用の板塀がは み出している。そして更に板塀の外に資材を置くため、狭い切り通しが よけい狭くなってしまっていた。  「スミマセン、スグカタズケマス」  (このたどたどしい言葉遣いからすると、こいつは外国人労働者だな?) と思いながらも、彼が何かの缶を片づけるのを見ていた。  缶を片づけている彼の後ろには人々が迷惑そうな顔をして立っていた。  (ふむ…現場監督と話し合って、板塀を少し下げてもらうか…) 私は、顎を手でさすりながら思った。  「お巡りさん、おはよう御座います」  「おはよう御座います」 杖をついた老人や、女子高生が口々に俺に挨拶をして通る。  「はい、おはよう」 といつもの笑顔で答え、おもむろに階段の上の方に視線をやると、俺の 頬を強い風が掠めるように通り過ぎ…  「キャーーーッ、いっつもこおなんだから!!」 とスカートまくり上がり、女子高生は慌てて手で抑える。しかし、すぐ 下を登っている老人の着物の裾には何の変化もない。  (なんか…変だよなぁ…?) と、何時も思っていた。  その日の夜、相棒はいつもの巡回に出て、俺は交番の中で出前のラー メンをすすっているた時である。  急に窓の枠がガタガタと鳴って、風の音した。いつもの事なので、俺 は(…女の子のお帰りだな…)と、思っていた。  …しかし、窓枠の鳴り方と風の音がいつもより勢いが強いように聞こ えたので、(あれ?)と思っていると、突然  「ギャッ!」 と、いつもと違った悲鳴が上がった、そして「ドサッ!」と言う鈍い音 と共に目の前に何かが降ってきた。  驚いて、食べ掛けのラーメンを放り出し、落ちてきた物に駆け寄った。  それは、血塗れの女性で、服装から階段の上の女子高生である事は明 白である。  ぐったりした彼女を見ると、彼女は何かをいいたげに口をパクパクさ せていた。  「おい!しっかりしろ!!すぐ救急車呼んでやるからな!!!」  俺は無線で本署に連絡して応援と救急車の手配をすると、続いて巡回 中の相棒を呼んだ。  相棒は階段の上のからすぐ駆けつけてきた。  「どうした?あっ…!」  相棒も事の重大さを悟り、二人で彼女の応急処置をしていた。  まもなく、救急車と本署からの応援がやってきた。俺は彼女に付いて 病院まで行った。  …しかし、彼女は死亡した。  直接の死因は、落ちた拍子に首の骨を折ったからとの事である。しか し、彼女の身体には肩から腰に掛けての大きな切り傷があり、すぐに司 法解剖に回された。  解剖の結果、凶器は鋭利な刃物、多分日本刀ほどの物ではないかと言 う事だった。  その後、俺と相棒は本署に呼ばれて詳しく事情を聴かれた。その時に なって始めて判った事なのだが、俺は交番内でラーメンを食べながらガ ラス越しに外を見ていたけど、人は通っていなかったし、また、相棒は 丁度階段の上にある菓子屋で菓子屋の老夫婦と話しをしていて、被害者 が通りを通ったのは3人とも見ているが、その後、俺に呼ばれるまで人 っ子一人見ていないと言う。  また、被害者について色々調べられた。その結果、被害者は階段の上 の女子校高の生徒で、生徒会の書記を勤めていたそうである。事件があ った寸前まで、校舎内で生徒に配るビラを他の生徒会の人達と共に夜遅 くまで刷っていたそうである。  性格は温厚、人当たりも良く、人に恨まれている事はない。  両親も平凡なサラリーマン家庭で、これまた近所づきあいが良く、人 に恨まれると言った事はないそうである。  また、一緒にいた他の生徒は、みんな学校前のパン屋にいたため、事 件当時のアリバイは証明されている。  その後、彼女に対する怨恨の説が薄れた事で、この事件は通り魔事件 として本署に刑事事件として対策チームが組織された。  彼女の事件がニュースになると、その日から2〜3日の間はマスコミ が押し掛けて、昼夜違わず取材をし、俺と相棒はマスコミのインタビュー 責めにあったり、またマスコミの取材のために野次馬などを整理をした りして、心身ともに疲れはててしまった。  しかし、一通りの取材を終えると、マスコミはおろか野次馬夜間もさ ぁーっと潮が引くように居なくなり、ただでさえ人通りが寂しいこの階 段は、ぱったりと猫の子一匹通らなくなった。  それを見ていて、俺は何か釈然としないものを感じた。  一方犯人の手がかりは一向につかめず、本署の刑事達も困り果ててい るという事を本署勤務の同僚から聞いた。  ただ、隣のマンションの工事現場で働いている外国人労働者が事件の 数日前から不審な行動をしていたのが判り、一度は本署の刑事が任意同 行をして取り調べたが、実は不法入国者と言うことが判っただけで、事 件当日は同じ国の友人の部屋にいることが立証された程度であった…そ のため、本署の刑事の一部は隣のマンションの施行業者の調査で人手を 裂かれ、また、マンションの工事もストップしてしまった…  彼女の49日も近づいた頃の夜、俺が交番の前で立っていると階段の 踊り場に頬杖をついて座っている女子高生の姿が見えた。  「おーい、そんなところでなにやっているんだ!危ないから早く家に 帰りなさい」  驚いて、俺を見る女子高生と目があった途端…  「あっ…!」 それは、紛れもなくその顔は、この前通り魔にあって殺害された被害者 であった…  俺は慌てて、彼女の元に駆け上がった。  駆け上がってくる俺を見て彼女の方も驚いていたが、そのうちニッコ リ微笑んで  「あなた、私の姿が見えるの?」 と言った。  両目をカッと見開いて、隅々まで無言で見ている俺を見て  「…どっ、どうやら、見えているようね!」 と、彼女は少しおびえた表情をした。  俺はただただ驚いて何も言えないまま、息を荒くして彼女を見ていた。  「あら?あなた、何時も私に稲荷を供えてくれる人ね?」 彼女は軽く手を叩き目を細くして微笑んだ。その顔はまるで狐のようだっ た。  俺は彼女が何を言っているのか判らず混乱しながら、  「いっ、いなり…?」 と一言発した。  「ご名答!そうよ、私はこの稲荷の主。今はちょっとあの子の姿を借 りているだけ…」 と、嬉しそうな顔をした言った。  「???」 俺はよけい混乱していた…  …混乱している頭の中で、今我が判っているのは、目の前に居るは信 じられないが、ときどき俺が稲荷寿司を供えている稲荷の化身だと言っ ている事である。  しかし、俺はこの子が俺の事をからかっていると思った。  「ばかな…冗談はやめて途中まで送ってあげるから、おうちに帰りな さい」  と、優しく声をかけた。が、彼女はフッとため息を漏らし下を向いた。  俺は、彼女のこのしぐさが俺を馬鹿にしているような気がして、  「稲荷なら、何かこの場で証明して見ろ」 と少し強い口調で言った。  「ええ、いいわよ」 と彼女は平然と言って、空を見上げて何やら呪文のような物を唱えた。 すると、いちじんの風が吹き上げ、彼女のスカートの裾をまくり上げた。  スカートを抑えながらニコニコと俺に対して微笑んでいる彼女の顔を 見て、俺はギヨッとして言葉を失っていたが、にわかには信じられなか った。  「どう?」  「ぐっ…偶然だろ?」 おびえながら言う俺に対して、彼女はあざ笑っているような、哀れんで いるような顔をして、  「あら…信じていないのね?…まあいいわ、すぐに理解できるなんて 思っていないから…」 と、フッと力無くため息を漏らして、また下を向いた。そして、言葉を 続けた。  「でもね…これだけは聞いてね」  俺は、彼女の腕を取ろうと手を延ばしたが、金縛りにあったように身 体が動かなかった。  じたばたともがいている俺を無視して彼女は淡々と話し始めた…  「あれは…不幸な出来事だったわ…あの子が階段の途中で足を踏み外 して…」  「そっそれで…?」  彼女が私の目を見て訴えかけるように話す事に驚いて、俺はつい聞き 返した。  「風を強く吹かして、あの子を助けようとしたのだけれど、風があの 子のに当たった瞬間、なぜかあの子の身体が裂けてしまって」  「えっ…?」  俺は驚きの表情で彼女の話しを聞いていた。  「あの子には可愛そうな事をしてしまったわ、今まで何人の人を同じ ように助けてあげたのに、あの子だけは…私はあの子の魂に、今騒ぎに なっているこの事件の解決を頼まれて、どうやったらこの事を説明でき るのか考えていたのよ…」  彼女は力を落としてうつ向いた…  彼女の話しを聞いている内に疑問が一挙に氷解した。  「まてよ…そうか!」 俺は左手の掌を右手の拳で叩いた。…なぜか、金縛りは解けていた。  「判ったの?」  彼女が急に明るい表情をして振り向いた。  「ああ…犯人は風だ!」 俺は彼女の目を覗き込むように見つめながら言った。  「風?」  「そうだ、君の起こした風だ」  俺は、大きく首を縦に振って言った。  「わっ私…なにも悪い事をしていないわ!」 必死になって両手を横に振りながら、彼女は否定した。  「いいや、君も悪くない!」  「???」  狐が狐につままれたと言う表現をするのは変だが、彼女は不思議な表 情をしていた。  「さっき、今まで何人の人々を同じように救ってきて、あの子だけあ あなったのは…」  「なったのは?」 俺の言葉に、彼女は身を乗り出して俺の言葉の後を追った。  「かまいたちだ!」  「かまいたち…?」  そう言って、彼女は乗り出していた身体を引いた。  「そう、階段の下にある工事現場の板塀がこの切り通しを狭くしたた め、君の起こした風を加速させる。それが階段に当たって渦を作り、か まいたちを起こす。そこに落ちてきた害者が渦にふれて…」 そう言いながら、俺は風の通る道筋を指で追った。  「…だとしらばだ!証明するのは簡単だ!!」  「えっ?証明できるの??」  彼女は、驚いた表情をした。  「ああ、俺がこの階段から飛び降りるから、あんたはあの時と同じよ うに風を強く吹かしてくれ!見事俺の身体が傷つけば、この事件は解決 する!!」  「でっでも…あなたの身体が…」  「なんとかなるさ!」  「でも…」 心配顔の彼女を、俺は手で制して  「さ、君は風を起こしてくれ!」 俺は彼女を稲荷の祠の方に押しやった。  俺は無線で相棒を呼んだ。仮眠していた相棒が眠い目を擦りながら出 てくる。  「このやろーっ、人が寝ているときに!そんなところで何やってんだ !!」 と、階段の下から怒鳴った。  「おい!あの通り魔事件の仕組みが判ったんだ」  「ナニ?」  「かまいたちだ!階段から落ちた害者をかまいたちが切り裂いたんだ !!」  「なっなんだと!!」 驚いている相棒に対して俺は言葉を続けた。  「今から、それを証明してやる!危ないから派出所に下がっていてく れ!!俺に万が一の事があったら、後を頼む」 と言って、俺は階段の踊り場から飛び降りた。  「わーー、やめろ!気でもふれたかーーー!!」 相棒は落ちてくる俺の落下点に向かって駆け出そうとした。が、その時、 強い風が吹き相棒の頬を切った。  そしてその風はまた、俺の身体に吹き付け俺の左肩から脇の下にかけ て切り裂いた。    …相棒の連絡で救急車が駆けつけ、俺は一命を取り留めた…  退院した俺を待っていたのは、署長の怒鳴り声と近所の人の喝采だっ た。  マンションの建設現場の板塀は早々に撤去され、工事責任者は今度は 業務上過失致死で訴えられるかどうかきわどいところだ… * * * * * * * * *  「キャーー」  今日も黄色い声がこの切り通しにこだまする。  ふわりと綺麗にまくり上がったスカートから覗く若い肢体が目に眩し い。 藤次郎正秀